構造概要

敏感テクニコ

Author:敏感テクニコ
びんかんてくにこ。

ルールと正しさの意味わからないまま従えない、大切なあの子の目をこれ以上くもらせない3ピースロックバンド。

メンバァー
■王子(川崎市)
 =Drums+Chorus
■びんかん(川崎市)
 =Bass+Chorus
■てくにこ(小金井市)
 =Guitar+Vocal

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行きつけのコーヒーショップ「スターバックス」で顔見知りの通称「ヒトヅマ」が今日退職した。
彼女はいつも新しいコーヒー豆情報をくれたり、タンブラーを一足先に見せてくれたりしてくれたのに、もうその伝がなくなる、となると寂しい。

なぜ「ヒトヅマ」と名づけたか。

それは、人様の奥様だからである。
ぱっと見幼いが、てきぱきしていて、後輩指導も鋭く教育。
できなそうで、できる、そして以外に年取ってる・・・で「ヒトヅマ」。
できなそうで、できるギャップは、なんだかキュンとなる。

そんな彼女に、敏感なお年頃だ。



(てくにこ)
ぼくの仕事のメイン顧客層は、シニア層、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる人々をターゲットにしている。

この世代の方々に訴求するにはどう売り込むか、
この世代の方々にいかに受けるコンテンツをどう作るか、
この世代の方々に長く愛されるサービスはどういうものなのか。

ぼくの両親はこの世代のちょうどど真ん中の人たちなので、先日実家に帰ったときにいろいろとインタビューしてきた。
「おっさんおばさんたちで今流行ってるものってなに?」
「むかし若いときはどんなのが流行ったりしてたの?」
「この世代の人ってどんな人が多い?」

親の意見がすべてというわけではないけれど、マーケティングを成功に導くにはこういった身近な人の意見というのはたいへん貴重だ。「親をマーケットの対象と見るのはどうなの?」と言われかねないけどね。

とにかくこの世代は魅力的なマーケットだ。
なぜなら、日本の年代層のなかでひときわ層が厚い。人数が多いということだ。
それに、この世代は今大量に定年退職を迎えようとしている。お金や時間を余暇に使ってもらえる人たちが大量に出現するというわけだ。

ところで「世代」というと、他にも「ヤンキー世代」とか「ギャル世代」とかもあるのだろうが、これらは層が薄く、マーケティング的には高い収益は見込めない。
それにこれらの世代は、マスコミが意図的に作ってきた虚像の世代でもある。帰属意識が低いのだ。

さてマーケティング的にはこの団塊の世代は特徴的な点がいくつもあって、いわゆるオイシイのだ。

まず、この世代は他の世代に比べて「われわれが」「わたしたちが」という連帯意識が極めて高い。
日本を変えようと学生運動に参加したのもこの世代だし、
一生懸命働いて日本産業の高度成長を支えてきたのもこの世代だ。

そして、この世代は人数が多いので過酷な受験戦争も体験した世代だ。
勉強を頑張った世代だからインテリな人が多い世代なのだ。

ビートルズやレッドツェッペリンなどの洋楽が輸入されてきて、これらを聞いてきたハイカラなロック世代でもある。

とにかくこの世代は熱いのだ。行動の世代なのだ。
「頑張れば頑張るほど、世の中良くなっていくのだ!」と信じている人が多い。

団塊の世代をターゲットにした商品開発は各社すでにかなり進んでいて、
JR東日本の「大人の休日倶楽部」はかなりの成功例だ。
団塊世代永遠のアイドル、吉永小百合さんが出演してるというだけで訴求効果は抜群だ。

それにキャッチフレーズがかなりいい。
「大人はとっても長いから。」
「ふたたび、旅へ。大人2枚。」

これには「退職したら夫婦ふたりでゆっくりしたいね」って言ってるようなおじさんおばさんの琴線にビンビンである。
うまいぞJR。

もっともっと俺も、おじさんおばさんの気持ちを理解しなければ。
マーケティング的に。
いやいや、人間(ひと)としてですね。あはは。

(びんかん)
きのうおとといは実家に帰っていた。

先日、日曜夜のNHK「芸術劇場」という番組で、「イッセー尾形:一人芝居」の特集をやっていて、この番組の録画を実家の両親に頼んでおいたのだ。
ただそれだけを見に、新幹線で実家へ帰った。往復運賃だけで2万円はした。

だがこの2万円は、すばらしい芝居を見せてくれたイッセー尾形氏に払ったのだ、と思えば全然惜しくない。納得がいく。

ちなみに、今ぼくが一人暮らしをしている部屋には、テレビはあるがビデオデッキがない。
一人暮らしを初めて今年ちょうど10年になるが、「いつかビデオデッキ買おう」と思ったまま、10年が経ってしまった。つまりは必要がないということだろう。それにぼくはほとんどテレビを見ない。

本題からだいぶ逸れた。イッセー尾形の一人芝居だ。

イッセーさんが一人芝居をやっているという話はどこかできいたことがあった。
でもぼくは一度も見たことがなかった。
どうせ、パントマイムみたいな、ただ変な人を変なふうにおもしろおかしくやってるだけだろう、と思っていた。

ぜんぜん違うんですよ。

イッセーさんが演じている「お父さん」とか「バーテン」とか「ベテラン俳優」という人物、「あー、こういう人、いるいる!」という、ものすごいリアル感。

そういう、いかにもいそうな人物を、いかにもありげな話でストーリーが進んでいく。

「いかにも」というところが、笑えるのだろう。
初めは、ただ「あはは」と笑って見てられた。

だが、見ているうちに、なんというか、悲しいというか、痛いというか、とにかくリアル過ぎて辛いのだ。

「こういう人、いかにもいそうだよね!」と言っていたのが、実はこの「いかにもいそうな人物」というのが、自分そのものであることに気がついてしまうのだ。

家族を旅行に連れていったサラリーマンのお父さん。
「これは楽しまねば!楽しまねばいかん!」という、余裕のない気持ちでいるお父さん。

「ああ、景色がきれいだ。きれいだねえ!きれいだなあ母さん!東京じゃこんな景色見られないんだぞ!ほら、よーく見ていかなきゃ。こらお前たち、よそ見しない!ほら、夕焼けが沈んでいくんだぞ!」

ありがちだ。
「せっかく休みをとって来たんだ。めいっぱい楽しんでいかなきゃ損じゃないか!」という気持ち。

別にこれは悪いわけじゃない。でも、なんというか、余裕のない日本人というか、余暇を楽しむことができない貧乏性の日本人である自分を映したものが、イッセーさんの一人芝居で鋭く見せられてしまう。

こんなすばらしい作品が5本ほどの2時間。
鋭くてナイフのような笑い。でもまったく批判的でも悪意的でもないのに、こんなに辛い笑いとはいったいどういうことだろう。
不思議な芸術だ。新しい芸術だ。

テクニック的なところでの新しさにも気がついた。

落語も「一人芝居」の一種と言えるだろう。
だが、イッセーさんの一人芝居と落語の大きな違いは、落語は自分の台詞も相手の台詞もぜんぶ言ってしまうのだが、一人芝居はそれがない。ストイックなまでにこの規則を守り続けている。
つまり落語では「おいお前さん」「なんだい」みたいなかけあい台詞がイッセーさんのにはないのだ。

まるで、だれかが電話でしゃべっている(相手の台詞はこちらに聞こえない)のをこちらが聞いている、みたいなことなのだが、でもぼくら鑑賞者は、そのイッセーさんが黙っている間の「相手がしゃべっているであろう」という間(ま)を、ぼくら自身が頭の中でその台詞を思い描き、いつしかそれがイッセーさんがしゃべっているものなんだと錯覚してしまう。

すばらしい。
もう、そうとしかいいようがない。

ぼくも、こんな人間の悲喜こもごもを、鋭く、なにかの形で表現したい。
そう、表現したい!
なにかを、このもやもやした気持ちを、形にしたい!

(びんかん)

2006-05-29 23:37:21
「こんな感じ」っていうのを音に託すって難しい。

安易なことなら、年末のサウンドなら多くの人がやってるからできそうだけど、
例えば「練馬」とか「明大前、夜」とか。

近所なら吉祥寺とか武蔵境とか。

これを音楽の形にできたらとても素晴らしいと思う。
写真を見る感じで音を創作できたら、なんて素晴らしいんだ。

(てくにこ)

2006-05-29 00:34:07
駅の自動改札があるだろう。

通勤で電車を利用するぼくは、もちろん定期だ。
だけど、JRから私鉄へ乗り換えがあるので、定期券はスイカじゃくて、今までにあった磁気タイプの、ペラペラしたタイプのやつだ。

自動改札の切符差し込み口に、その定期券を入れると、瞬時にして向こう側出口から入れた定期券が出てくる。
時間にして、約0.5秒くらい?
正確なところわからないけど感覚的にそんな感じ。

ふつうに歩いて、いや、ちょっと早足で歩いてちょうど良いタイミングで、

定期券入れる → 定期券受け取る

の動作がスムーズに行えるようになっている。
これ設計した人(あるいはチーム)、すごいよね。人間工学みたいなのよく考えてある。

しかし、だ。
前の人がスイカだった場合。
定期券入れて向こうから出てくるタイミングが、若干遅いのだ。
自動改札コンピュータの計算がちょっと戸惑っています、みたいな感じで遅い。

この「若干」というのも約0.2秒とか、そのくらいの微妙なもの。

いつものように、ちょっと早足で「定期券入れる→受け取る」の動作をしようとすると、この0.2秒くらい待たされるのだ。「あ、あれ?」みたいに、歩くリズムが狂う。

これほんと微妙な感覚なので、共感してくれる人いるかどうかわからんけど。
「まあ余裕持てや」と自動改札が諭してくれているのかもしれない。

(びんかん)

2006-05-27 07:37:09
胡散臭い営業って、ドウモだめだ。
もし、それがとてもいい商品でも、その人の人柄で買う買わないは決まる気がする。

大手ソフト会社。
俺はどうしても其のソフトが欲しい。そうすれば仕事も円滑に進むはず。
しかし、700万はポンとは出せない。

いい製品を使ってもらいたい、という気持ちは出てるが、どうも「成績」的な匂いがしてダメだ。
いいもんはいいなりに高いんだ。

欲しいんだけど、胡散臭い。
オトナノ世界って怖いわ。

(てくにこ)

今晩は、牛肉輸入問題で大打撃を受けたオレンジのあの店に行ってきた。
行った店舗は米軍基地が近いのでたまにガイジンさんがいる。
今夜も入ると、オトナの香りがぷんぷん。こいつはブタの臭いではない。
黒人の独特の香りだ。おぉ。
この香りになぜか憧れる。
しかも、ぎこちない手つきで豚丼をほお張る黒人。
おーぃ、ドンブリの縁にいっぱいお米がついてますよー。
・・っていいながらその香りをどうやったら出せるか、ゆっくり聞いてみたい。

オトナノフェロモン。



(てくにこ)
(1)先週からクリーニング屋さんに預けっぱなしのスーツ、はやく取りにいかなきゃ。
(2)おとといから何度も「取りにきてくれ」と電話がかかってきている、修理依頼出したパソコンをお店に引き取りに行かなきゃ。
(3)「書留郵便物お預かり伝票」が毎日投函されていて、これも受け取らなきゃ。

・・・と、片付けなければならん作業が山積している。
会社の業務ではなく、プライベートで。

ぼくはこれらを処理するため、郵便局へ再配達のお願いをしたり、パソコンショップやクリーニング屋にも連絡を入れたりして、とにかく今日すべての作業が全部きれいに片付くよう、昨日のうちに段取りをばっちりしてたのだ。

ところが今日になってみたら、夕方5時から7時まで、とある駅前でティッシュ配りをしなければならなくなった。
いきなりこの予定が割り込んできたのである。

7時までティッシュ配りをして、急いで帰宅しても夜8時を5分ほど過ぎてしまっていた。

残念ながら、玄関ポストには「郵便物お預かり伝票」が差し込まれていた。
配達時間はちょうど8時とあった。
くそっ、なんということだ。

パソコンショップ、クリーニング屋にも電話してみた。
「本日は営業を終了しました。またのお越しお待ちしております。」
くそっくそっ!なんだよ。

たった1時間、スケジュールが後ろにずれこんだだけで、これほどまで作業の進捗が停滞してしまう。
またもや、予定の立て直し、段取りの立て直しである。

ところで、ティッシュ配りではあいかわらずピリピリ女子にムカついた。
こいつらはだいぶ向こうに居ても「あー、無視されたり嫌な顔されるんだろうな」と直感する。
予想通り、ピリ女は歩きながらケイタイを凝視し眉間にしわを寄せている。
もちろんティッシュは受け取らない。

仕事だから仕方ない。
そういう悲しくてむなしい作業もニコニコしていなければならぬ。

しかし中には、ドキっとするようなスゲーかわいい女の子がニコッとしながら受け取ってくれるときがある。
暗くてキモいピリ女にはだいぶ凹まされているから、嬉しさは倍増だ。

「どうぞ!(きみ、かわいいね!)」
「どうぞ!(こんど食事にでも行きませんか!)」
「どうぞ!(つきあってください!)」
「どうぞ!(俺と結婚してくれ!)」

もちろん、この( )内は俺の心の声だ。
「どうぞ!」といいながら心の中でこうつぶやくのだ。

手渡されたティッシュから、俺の愛が伝わっているだろうか。

(びんかん)

2006-05-25 20:58:53
仕事にプライドを持って進めるって事はとてもすばらしい事だと思う。誰だって自分のしたプロジェクトって、緊張もあれば自信だってある。

最近入社したRんさん。帰化した中国の人だ。日本に来てもう20年くらいになる模様で、今までも多くの設計プロジェクトにかかわっている。しかし、今日は彼のプライドとトーンダウンの狭間を見た。

いつもお世話になっている板金加工の商社。とてつもなくでかいものも製作するので、打ち合わせのために来社。設計のRんが会議に出席。

「Rんさんね、この図面、これだけ狭くちゃできないよ」。
 「なんでですか?」
「いや、出来ないモンに理由なんてないよ、出来ないものは出来ないんだよ。
 「出来ますよ、これくらいなら」
「だってさ、機械が入らないよ。見てごらんよ、14mmしかないんだよ!」
 「いや、そんなことはない」。
「無理だって。今日加工屋に電話したら無理だって言われたよ」
 「だったら、できる業者、こっちで探します。」
「それだったらそれでいいよ」
 「わかりました」

Rんは相当自分の書いた設計にプライドがあるらしい。要するに、いちゃもんを付けられてご立腹だそうだ。切れそうになったおれも、もう30手前。ここは大人に対応。

「Rんさんね、こちらさんが出来ないって言ったもんは、絶対出来ないんですよ」
 「それは技術力が低いからじゃないですか?」
「あのね、こちらさんはいろんな業者さんに当たってもらって、忙しいところ聞きまくってるんだから」
 「だったら、ここ以外にできるところ、こっちで探します。」
「ゴルァ凸(`_')。勝手に俺の仕事取るな!おめーは大人しく図面書いてろ!」
 「・・・えぅ・・」
「大人しく書いてたって、いつまでたっても先に進まねーじゃねーか!!」
 「・・・・・」

商社はこの地域ではかなり手広くやっていて、ここで製作不可となったら、ほとんど出来ないに等しい。だから、弊社担当の商社サンはいつも代替案をもってくる。それにも耳を貸さないRん。いよいよ、ボスへ呼び出しボタンを押す。

「なんだ、できねーのか。じゃ、図面替えろ」
 「はい」

なんだてめー、さっきと勢い違うじゃねーか。
仕舞いには「私の計画不足でした」と言いやがる始末。

帰り際、なにも知らないボスへ一部始終の報告。
「商社サンに謝っとけ。それから人付き合いに気をつけろってRんに言っておけ」
結局こういった仕事はすべて俺がやる。

ったく。
もう、Rんとは仕事出来ないかもな。でもなー、50手前でその態度はやめろよ。おめーは全然えらくねーんだよ。頭下げて仕事をしていただくってのが日本のものづくりの美学なんだよ。

(てくにこ)
月曜の朝、3:30に羽田に着きました。
5:22の東京モノレールに乗って、浜松町へ。
始発列車から眺める羽田空港地区はなんだか浮遊感のまま。

その後9時前に会社に到着。
1:30まで韓国にいて9時から東京で仕事なんて、妙な違和感と充実感を味わえる。
さっそく定例会議があってそこで、
「おぃ、鹿沼に制御盤調整に行ってくれ」とあって、社外電機専門家と車で2時間。
眠い、気圧の急激な変化で耳がおかしい。

出張先でキャイ?ンの天野くんにそっくりな責任者とたくさんお話しして、
ボーッとしてきて、打ち合わせ中に「がくっ」。
クリーン服着て、帽子も深々かぶって、さらに睡魔が襲う。
制御盤前で、PCとにらめっこしながら敗北。たくさんのリターンキーを押しまくり削除に手惑う。
押しっぱなしでしばらくおねんね。

そんなこんなでも、きっちり仕事をこなし、貴社が19時半。
「すみません、ちっと車の中で寝てから帰ります」。

気付くと、深夜12時でした。

(てくにこ)
出張で柴又を訪れる。
寅さんで有名な、帝釈天の葛飾柴又だ。

柴又は、品川まで乗り入れている京成押上線で浅草、立石、四ツ木、青砥を通り過ぎて、京成高砂(けいせいたかさご)駅で京成金町線に乗り換えた次の駅だ。
そう、以前から一人でやたら騒いで憧れていた「京成電鉄」に乗って、柴又へ出かけたのだ。

思いがけず、という表現が相応しい。
なんの心の準備もせずに京成に乗ってしまったことがとても悔しい。

しかも上司と一緒だったので、見える景色、車内中吊りなど、「いかにも下町」「いかにも千葉方面」な雰囲気を堪能する余裕もなかった。

それでも、京成金町線という、ガタガタいう4両連結の古いタイプの電車に乗れたことが素直にうれしい。
駅ホームの感じも、いかにも「昭和」な雰囲気がまだ残っていて、なんだかうれしい。

以前(といっても2ヶ月前)勤めていた米屋のときには、葛飾区や足立区といった、とにかく狭い道路にびっしりオバチャン自転車が路上駐車してあるこの下町地域へ、毎週トラックで配達に出かけていたが、今日はその当時の気分が甦ってきた感じがして、すこしセンチメンタルな気分になってしまった。

こんど、天気のいい週末にはゆっくり京成電鉄に乗って、こっちの下町方面へ散策へ出かけたい。

(びんかん)
日曜の晩(昨日の夜)に、メモリにたまっていたデジカメ写真の整理だとか、ブログの記事更新だとか、メールの返事書いたりだとか、いろいろやってたらだいぶ遅い時間になっていて、寝たのが夜中2時過ぎていた。

そんなわけで今朝起きるのがとてもつらかった。

会社に行ったら、ふだんは静岡の本社にいるような偉い人たちが東京のオフィスに大勢来ていて、なんだと思ったら、今日は会議だという。

しかも、ペイペイの俺も会議に出なければならんことになっていた。

とりあえず、ちょこんと会議室のはじっこのほうに座る。
偉い人が順に議題を進めていっている。
うんうん、俺らの事業はこんなことになっているのか。へえ。

議論が白熱してきたが、俺は猛烈な眠気に襲われる。
プロジェクターからレーザー光線がシュバシュバ放出するような白昼夢をなんどか見る。
「はい君、これはどういうこと?」と、自分が指されたような幻もなんどか見る。

昼休みになってやっと会議が終わり、やれやれと思って自分のデスクに戻る。
たまっていた作業、何件かメールの返事を出したり電話をかけたりしてたら、「おーい次は○階で会議だぞ」と課長に呼ばれ、またもや眠い会議へ。

この会議では、ぼくがふだん関わっているWeb関連の会議だったこともあり、自分のノートパソコンを持参して出席する。

またもや、議論が白熱していたが、強烈な眠気がびりびりと俺を襲う。
もう、なんだかぐにゃぐにゃして、わけわかんないぞ!
プロジェクターによって映し出されているパワーポイントの資料が、大友克洋AKIRAの金田がバイクに乗るシーンに見えたりするという妄想と戦いながら、午前に引き続き眠気と格闘する。

混乱したぼくは、会議中なのにいきなりIEを起動していて、ブックマークに保存していた下記サイトになぜかアクセスしていた。

(株)就職課

すると、このサイトの特徴でもある、フラッシュムービーによる社長ウチダの「はい!ウチダです!」という挨拶から始まる「今日のひとこと」みたいなやつが、馬鹿みたいな音量で再生され、偉い人たちの議論がいったんストップした。

もちろんぼくの眠気はどこかへふっとび、ぼくはその後気まずい思いをしながら、目だけはギラギラと覚醒して会議に出席することができた。

これも、妄想なのかと思ったが(思いたかったが)、どうやら現実の出来事だったらしい。

(びんかん)

2006-05-22 22:46:32
実は嘘ついて、かっこつける人がいる。

してもいないのに、「した」ことにしてみたり、


本当はしているのに、内容が恥ずかしくて言わないことにするのが美学になっていたり。




そういった格好いい美学を追求したら、一流の「かっこいい」になれるか。


それとも素を追求することが「かっこいい」になれるか。




いずれにしろ、美学を追求することがかっこいいになればいい。




(てくにこ)

てくにこは今、韓国にいます。
写真を投稿したいけど、デジカメとMACを繋ぐケーブルを忘れて、自分にうんざりしています。
隣の部屋の妙な物音が気になります。
外をたむろする、薄い色眼鏡の太ったオトコが気になります。なぜごっついブレスレットをしているのでしょうか?

2006-05-21 01:30:58
T門くんのピアノコンサートへ出かける。
山梨県は都留市。
南武線と中央線でちょうど2時間の距離。

ぼくはいちおう「コンサートスタッフ」という役職で、ステージの袖を出たり入ったり。でもほとんど仕事らしい仕事してない。コンサート中のT門くんをカメラで撮ってたくらい。

彼の新作ピアノ・ソロアルバムを中心に、楽しい雰囲気の楽曲が続く。

彼の新作は、喫茶店とかレストランでかかっていても気にならない、BGM仕様のつもりで制作したとのこと。
今自宅で繰り返し聴いているが、確かに、脳裏に焼き付くようなポップなフレーズはあまり出てこない。

ドラマチックな展開はないが、淡く小さな幸せをふと感じるような、
朝なんだかちょっと早く目が覚めたから熱いコーヒー入れたよ、みたいな。
お向かいさんの塀の上で猫が寝てたからアタマをなでてみたよ、みたいな。

そんなどこにでもあるような、誰もが過ごしているような、これといって書き留めておくこともないような、なんでもない日常がとても素敵に感じられる。そんな印象の作品。

友だちの女の子に描いてもらったというジャケットの、へんてこな絵とスカスカなデザイン。
そうそう、彼の音楽を絵にしたらこんな感じ。描いたひと、すごい感性。

年齢を重ねるごとに深みを増す、T門くんの人生とそのメタファーである彼の楽曲。

(びんかん)
今日は久々に電車に乗って出勤した。
窓から外を見ると、とあるポイントでカメラの三脚を設置しシャッターチャンスを伺うオトコがひとり。

中央線の魅力的な色彩と、カーブを曲がろうとする異次元の世界。
なぜあそこまで気合いが入るのか。
電車とは不思議な存在だ。
内部では人を乗せられるし、外部は被写体となる。
誰かが操縦をしているのだが、ふと思うと、電車が自らの意識を持って動いている気がしてままならない。
レールの上を、決められた速度で侵入し、決められた角度で傾斜しながら
通過していく。
イツ見ても、どこから見ても、同じ。

それに魅力を感じてしまうんだ。

(てくにこ)

2006-05-19 00:31:11
12chでやってた「アポロ13」を漫然と見てたら、急に外へ出たくなった。
少し小雨がパラついていたが、iPodとヘッドフォンを装着しいつもの土手を歩く。

iPodがシャッフルしてかけてくれる曲がいまいち気に食わない。
今の気分じゃない。
しっくりくるまで「前送り」ボタンを押し続ける。それでも気に食わないままだ。
なんだなんだ、この曲は! iPodしっかりしてくれよ!

さてはもしや、「むなしい病」の再発か?

ぼくはときたま、この「むなしい病」に取り憑かれてしまうときがある。
なんでも、「つまらなくて」「むなしくて」「悲しくなって」しまう気分に襲われるのだ。
これは、急にどこからともなくぴょっこりいきなり顔を出すので、油断大敵だ。

この「むなしい病」に取り憑かれてる「長さ」もまちまちだ。
2、3日の場合もあるし、1週間の場合もあるし、
一晩寝たらケロっと良くなる場合もある。
去年は半年という長期間この「むなしい病」の気分が続いた。

真剣に、どこかお寺に入って、俗世間とは隔絶した修行生活を送ろうかと考えるくらい悩んだ。

とりあえず今晩は仕方ない。
「むなしさ」がじわじわ身体に染み入ってくるのを感じながら、
土手沿いにある浄水施設の巨大な配管パイプ群を漫然と眺める。

全然しっくりこなくてがっかりなiPodの曲を止めて、
ぼくは浄水施設から聞こえる「グォン、グォン」という機械音に耳を傾ける。

雨が本降りになってきた。
もう家に帰らなきゃ。

(びんかん)
会社業務の一環として、東急線沿線のとある駅前でティッシュを配る。

ほとんどの人は「はいどうぞ!」と差し出すと受け取ってくれるのだが、
なかには頑として受け取らない人もいるにはいる。

若いヒステリックな感じの女性に多い気がする。

そういう人は、ティッシュを配っている人を向こうに見かけると、「あっいけない」という感じで
急いでかばんからケイタイを取り出し、急いでケイタイの画面を凝視し、
そして急いでもぞもぞとケイタイをいじりだす。
「あたしは今メール中なんだから、話しかけたりしないでよね!」みたいな、そんなピリピリした態度で。

そういう、なにか勘違いしてるような、嫌な雰囲気丸出しの女子には、ちょっとチクリとやりたくなるものだ。

ぼくは「どうぞ!」と、彼女の顔とケイタイの間にティッシュを差し出す。
まるでケイタイの画面を、ティッシュで覆い隠すかのように。

そんなことをされたヒス女は、さらに「キーっ」となってのけぞった体勢になる。
あるいはびっくりしてティッシュを受け取ろうとする。

でもぼくはそのティッシュを彼女には渡さず、そのままそれを引っ込め、
すぐ後ろに歩いてきたおばあさんに「はいどうぞー!お受け取りくださーい」といってニコニコしながら差し出すのだ。

ぴりぴり女子は、さらにぴりぴりしてどっかに行ってしまい、
たぶん行った先で、いろんな人に八つ当たりしてますます嫌われるに違いない。
ざまみろ!ばーか

(びんかん)

2006-05-17 23:31:23
むかいのマンションに住むI葉さん夫婦の家で、いいちこをごちそうになる。
おつまみはピーナッツが少々、グラスが空いたらすぐに注がれる、そういう大人の飲み方だ。
もちろん、量はぐんぐん進む。

またもや「いま千葉がヤバい、千葉がキテる、品川駅には京急だけじゃなくて、千葉からやってきた京成電鉄と北総鉄道が相互乗り入れして、ロマンを感じてしまうんですよ」みたいなことを熱く馬鹿みたいに語ってしまう。

それでも、やさしいI葉さんたちは、俺のたわごとをニコニコして聞いてくださった。

さて、
さらに話が飛びに飛び、「瞬間で移動できる方法はないものか、将来的に開発されるとしたら、どんな方法で解決されるのだろうか?」という話をした。

「A地点からB地点に、クルマ、電車、飛行機でそのまま物体が移動するなんてのはもうダサいよねえ」
「これからは、データ転送の世界だよねえ」
「人間そのものも、ファックスやメールのようにネット経由でデータ転送できないものかねえ?」

つまりは、人間という物体そのものをなんらかのフォーマットでデータ化できればいいのである。
データ化(=ビット化)できた情報を、光の早さなり電波の早さでA地点からB地点を転送させた場合、

目的地であるB地点で再生できるシステムが必要だ、との結論になった。
人間という有機物質を、データから再生できるシステム。

つまりは、エネルギーを物質に変換する仕組みを作らねばならない。
原子爆弾は、物質をエネルギーに変えて大きな爆発力を得るものであったが、その逆となると実現は困難だ。
なにもないところから物質を生み出すのだから。

転送の仕組みは、もうすでにインターネットの世界が出来上がっているので、肉体という物質をデータ化した情報をTCP/IPだろうが、FTPだろうがどっちでも転送すればいいのだが、

果たして、その「人間(=肉体)という物質を、A地点で解体しデータコード化できる方法はどんなものだろう?
そもそも、人間という肉体をデータ化し、コード化することは可能だろうか。
もし可能なら、どういう方法で?元素記号?塩基配列?

そして、そのデータをB地点で完全に再生し、「これはAにあったものと同等だ」と評価できるシステムは開発し得るのだろうか?という課題が持ち上がった。

それよりも、転送元のA地点には送る前の肉体を残しておくべきか、
(要するにメールであれば、「送信箱」に送ったメールが残るみたいなこと)

もし残しておくならば、世界には複数の同じ肉体が同時に存在することになり、倫理的に許されるのか、人口統計上これはどう処理されるのか、

では逆に、転送元に送信前の肉体が残らないとすると、
もし転送に失敗した場合、その肉体のデータはどうなってしまうのか、再送は可能か、「送信エラー」としてその肉体は永遠に再生されることなく消滅してしまうのか、といった解決すべき課題が持ち上がった。

こんな妄想につきあってくれたI葉のおじさんおばさん、ありがとう。

てゆうか、これは相当な妄想だから、本来は「宇宙的妄想」のブログに載せるべき内容でしたね。

(びんかん)

2006-05-17 01:02:23
目の充血がとれないのはなんだかヤバイかもと考えて、眼科に行く。
朝はふつうに出勤し、午前中「私用外出」という理由で、会社近くの眼科へ。

年寄りだらけの待合室で、1ヶ月前の週刊文春「ガセメール掴まされた永田議員の進退やいかに」という、今となってはもうどうでもいい記事をだらだら読みながら名前を呼ばれるのを待つ。
1時間半ほど待ってやっと診察してもらう。

結膜炎だ。
先週からずっと風邪をこじらせたまま無為に一週間を過ごしたが、このおかげで体力がなくなり、免疫力が落ち、体の粘膜が非常に弱くなっているとのこと。

そういう弱くなった状態で、お金とか、電車の吊り革とか、そういうものに触れた手で目をこすったりすると、ふだんの強靭な粘膜(この場合まぶた)はそこに付着しているばい菌をはじくことができるが、いまの弱った体における粘膜だと、炎症をおこし目を充血させてしまうのだ、とのことだ。

二つの点眼液(抗菌薬、炎症防止薬)を処方してもらい、そして会社へ戻ったら、もう昼休みの時間だった。飯でも食おうと、ふたたび外出すべくエレベータに乗ると、部長と一緒になった。

「どっかおいしいとこ連れてってくださいよ」と言ったら、「よし、ついてこい」と言われたので、ぴょこぴょこついていくと、さっき行ってきたばかりの眼科の真向かいにベトナム料理の店があって、ここで「五目フォー」と「生春巻き」を食べた。二つあわせて?910。

いちおう自腹だったね。部長おごってくれなかったよ。

それにしてもなかなかうまかった。
でも緊張しながら部長と食べたので、なんだかゆっくりしみじみできなかったので、こんどはひとりで(あるいは素敵な女の子を誘って)ゆっくり味わいたい。

(びんかん)

2006-05-15 22:27:02
模様替えを検討中。

充実した音楽制作を進めていきたいのだから、マイスタジオを構築していきたい。
ベットがそれを邪魔している。

ワクワクする音楽が出来る部屋にしたい。
座っただけで、いろんな音色が紡ぎ出されるような、レイショナリティーなお部屋に。

iMacとiBookでこつこつ構築。

(てくにこ)

2006-05-15 22:26:26
ちょうどぼくが夕方の散歩に出かけたときだ。
N條から電話がかかってくる。「飯食おうぜ」。

ぼくはよく散歩をする。
家の近くに流れる川の土手沿いを歩くのだが、今日は特別だった。

なぜなら、なんか熱っぽいのだ。ようするに風邪の症状だ。
アタマの中がホカホカして、世界がぐにゃぐにゃに見える。

そして、理由はよく分からないのだが、なぜか目が充血していて、光に対して鋭敏な反応を起こしている。

つまり、ぴかぴかした事象が脳にびんびん直結してくるのだ。
敏感脳になってしまっている。ナチュラルなハイ状態だ。

風邪なので、すぐにでも横になって寝ていたいほどぼくは具合悪いのだが、普段は味わえないこの「多幸感」に酔いしれるため、街がだんだん薄暗くなって、そして家々の明かりが灯る時間に、散歩に出かけたというわけだ。

おかしいだろうか。俺は狂ってるだろうか。

そして、N條と日吉駅前で飯を食う。

なにを話したか忘れてしまうほど、世界がよじれてぐにゃぐにゃしていたが、なんか「最近おれの中で千葉がキテる、京成電鉄がキテる」という話を熱く語ったようだ。

さらに、俺のボディがもっとロボロボしていればよいのに、という話もしたそうだ。
これは、最近読んだ「浦沢直樹:プルートゥ」という漫画がすばらしく面白い!という話の延長だったと思う。

とにかくN條は、充血した目でキマってる俺の支離滅裂っぷりに困り果てていたが、気分のいい俺が飯をおごってやったので、怒らずに静かに聞いていた。

ひととおり最近考えてるくだらないことを話し終えると、もう用が済んだ気になったので、家に帰りたくなった。すっくと立ち上がり、俺は店を出、困惑して変な汗が出ているN條をそこに置いて、またもや、街灯や家の明かりでぴかぴかした街にくらくらしながら、今家に帰ってきたところです。

(びんかん)
技術職と技術職の鬩ぎあいは凄まじい。
お互い、一つの目標があるのだが、行き着くまでの道のりの理論がとても激しいのだ。
しかし、いつもどちらかが合っていて、どちらかが間違っている。
そして、間違っている方がやはり勉強不足だ。
そういうのに限ってとてもしつこい。

なぜか。

理解していないからだ。

今日、我が社に来たお客さんは大手自動車メーカーの技術屋さん。
世界一位の会社だ。

その"ファルコン"が、使いたいシリンダーの説明を、
我が社の技術が理論的な観点から説明をしているのだが、なかなか理解できない、いや、してくれない。
それは、彼の中でも「理論」があるからだ。加えて勉強不足。
だから、しつこい。知りたいから、とことん質問攻め、あげくに言葉攻め。

なんなんだ、一体。

そのドタマに詰まった腐った理論を捨てやがれ。
大人しく、言うことを聞けばいいじゃないか。誰がこのシリンダーを作ってると思っておるのかね?!
理論勉強する前に、我が社の歴史を勉強してこい。

だいたい理解していない、勉強不足野郎の特徴はしつこさだ。
いい時もあるが、たいていはうざい。

恋だってそうだろ。
相手のことを理解してないから、知らないから、しつこいんだろ?

「昨日どこいたの?」
「メール返信遅くない?」
「ね、あのヒト誰?」

なんなんだ、一体。

そんな暇あるならそのしつこさを、日本経済発展のために使いたまえ。

(てくにこ)
敏感すぎて困り果てていた中学生のころ、ぼくはある音楽ジャンルに出会う。

ミニマリズム。

15年ほど前NHK FMで土曜の深夜、
「現代の音楽」という、とてつもなくローテンションな番組が放送されていて、
しかも、かけてくれる音楽は今まできいたこともない、そして今後聞くこともないであろう、
「現代音楽」というクラシックのひとつのジャンルだったのだが、

深夜という時間帯に、恐怖映画のサントラのような音楽が毎週ラジオからかかっていて、
「こんなん誰が聞いてるんだろ?俺だけかな?」と思って宿題をしながら聞いていたが、
いつのまにかこの番組の乾いた雰囲気のとりこになってしまった。カセットに録音もするようになった。

いかにもNHKなスカスカな感じもよかった。

で、一度だけ「スティーヴ・ライヒ」という人の音楽がかかったことがあった。
ぼくはかなりの衝撃を受けた。

同じフレーズを、何の感情も込めずに、何人かのプレイヤーがえんえんずっと演奏してるだけ。

でも、なんだかとっても、陶酔感というか恍惚感のようなものを感じたのです。
快楽に敏感な中学生。こういうのにすぐ病み付きになってしまう。
ぼくは、翌朝、田舎街のレコード屋に自転車でかけつけ、ライヒのCDを探す。

あった。一枚だけあった。
「ディファレント・トレインズ」という、線路のジャケットのCD。

バイオリンとかチェロの音色で、えんえん同じフレーズが繰返されてる。
でも、ときたま出現する、だれかがしゃべってる声を録音したテープの音。
よく聞くと、まわりの繰返されてるフレーズは、このしゃべってるリズムを反復しているのだ。

しかも、なんかこの曲、第二次世界大戦とか世界恐慌とか、
そういう20世紀の暗いイメージを連想させるような、そんな感じ。
当時の世界を覆っていた暴力的で憂鬱な感じ。
フレーズを繰返すことによって、恐怖が倍増する。
その恐怖が快楽に変わる。

多感な中学生(ぼく)は「繰り返し」という簡単な手法に、相当なノックアウトを受ける。
その後、彼(ぼく)は20代になり、そしてあと少しでこれから30代になる。

でもぼくは、その当時受けた衝撃があまりに強かったので、
「すかすか」で「反復的」な、そういう世界から抜け出せないまま大人になってしまった。

いまだに「きもちいい」と思える作業は、単純な繰り返しだったりする。

もう30歳近くになるぼくらも、もう一度こんな衝撃をうけてみたい。
ぼくら敏感テクニコは二人という小さな編成だけど、
あらゆるアレンジや手法を試して、ナイスなグルーヴを生み出したいのです。

そんな中学生なぼくを思い出した週末の夜。ひとりぽっちの夜。

参考サイト:M i n i m a l i s m

(びんかん)
出社前の忙しい時間に、こうしてブログに投稿しています。

敏感テクニコ。
ただ語感で決めてしまったバンド名だが、俺はかなり気に入ってます。

多感でナイーヴな、中学生のような。

そして、確かな技術力で裏打ちされた
絶倫で熱狂的なグルーヴを!

というわけで、敏感_Future!

(by びんかん)

敏感テクニコ
というBANDを立ち上げたのです。
立ち上げた、といっても、相棒のびんかんとはもう5〜6年一緒に音楽をやっている。
相棒・・・今風で言えばバディーか。
blogを立ち上げる理由は、とあるオーディションに応募するため。
我々はピアノとギターのDuoで成り立つ、絶倫でグルーヴなBand、を目指しているが、行き着く先はだれにもわからないのだ。
我々は我々を俯瞰でみなければならない。

(by てくにこ)

2006-05-11 00:24:37

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