構造概要

敏感テクニコ

Author:敏感テクニコ
びんかんてくにこ。

ルールと正しさの意味わからないまま従えない、大切なあの子の目をこれ以上くもらせない3ピースロックバンド。

メンバァー
■王子(川崎市)
 =Drums+Chorus
■びんかん(川崎市)
 =Bass+Chorus
■てくにこ(小金井市)
 =Guitar+Vocal

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毎日の日課が、探し物に終始している人がいる。
「あれ、どこいったっけな?」って、朝からずっと探している。

きのう机の上に置いておいたはずのテレビのリモコン、今朝になったらないんだよ。
かばんに入れといたはずのケイタイ、さっきから呼び出したりしてんだけどぜんぜん見つからないんだよ。
あのファイル、「マイドキュメント」に保存したはずだったんだけど、どこにも見つかんないんだよ。

探し物をして、一日の大半を費やす。
一日中「マイドキュメント」に保存してあるファイルを片っ端から開いて確認する作業に終始する。

そんな状態に陥るなんて、クソだ。
そういう人が近くにいるとイライラする。

逆にぼくは、整理整頓が大好きだ。
てゆうより、分類したり、まとめたりといった作業に快感を覚える。

徹底的に整頓し、分類し、統合し、削ぎ落とすことで最終的な姿がよりシンプルになれば大満足だ。

もちろん家にあるCDはジャンル別、アーチスト別に保管だ。
とくに本の場合は、文庫本、ハードカバー本、大きさ、色などが整理整頓の座標となり、あとは分野別、作家別に細かく分類されていく。

パソコン内のデータも、きちんとしたフォルダ階層になってファイル保存したい。
デスクトップには「ごみ箱」くらいしか置きたくない。

シンプル・イズ・ベスト。これを生涯の目標としたい。

探し物なんか、したくない。

(びんかん)
仕事をしている時、
今日こそはギターの練習するぞ、ってすごく思う。
しかも、この曲とこの曲とこの曲、とか言って、かなり上手く弾けてる自分を思う。
ジャムセッションでもここまで出来てるはずだから、こんな雰囲気になるはず、
と、異様な感情に、盛り上がる。

さらには外国語も、今日はここまで勉強しようって思ってる。
だから外国の誰かと電話していることを妄想する。
さらには、会社に掛かってきた諸外国からの電話も、なんなくこなす自分を妄想する。

そして、ダイエットに成功し、毎日見る鏡を楽しそうにのぞき込む自分を妄想する。
海猿の彼みたいになってるはずなんだ、妄想協会の私は。

どこまでも、私はスーパーマンだ。

だが、実際は家に帰るやいなや、冷蔵庫を開け、お酒を飲み、音楽を聴き、くだらない雑誌に目を通し
床につく。
何も収穫はない。
この得体のしれない妄想は年齢を重ねるごとに増し加わっては忘れ、を繰り返す。
年々、妄想がヴァージョンアップしていく。

で、問題は、この本当に努力をすればなんとかモノに出来そうなこの妄想と、
現実の距離をどう縮めればいいのか・・・。

それをまた「妄想」によって縮めようと、アイデンティティを高めていく、私、てくにこであります。

(てくにこ)
沈黙が怖い。

大勢での会合や食事のとき、あるいはふだんなじみのないような人と食事しなければならない場合や、一緒に出かけなければならないようなとき、気がつくと一番しゃべっているのは自分だったりする。

でもふだんの私はおしゃべりなほうじゃない。
ただ、この沈黙の、重苦しい雰囲気が耐えられないだけだ。

大勢での会合や食事のときは司会みたいな立場になってしまう。
全体のバランスを考えて、出席した各位にまんべんなく発言が行き渡るように、質問をし、その答えに対するナイスなコメントを入れ、そして次にその話題に関連した質問を別の人にし…といったことを、そのイベントの間じゅうやっている。

誰に頼まれたわけでもないのに、一人勝手に大変な思いをしている。
一人でバランスをとっている。

話の全体の流れはどうか、
平等に会話がなされているか、
だれか退屈そうにしていないか、
内輪だけがウケるような話に終始していないか。

ここで打ち明けることもないだろうが、私はけっこう時事問題について勉強しているほうだと思う。

ぜんぜん興味はないけども、サッカーW杯、野球とくに巨人戦、携帯電話の新しい機種、パチンコ、温泉、猫など、そういう話題しかできないような人とでも、なんとか沈黙せずに会話が弾むように、そういう情報を仕方なく取り入れ続けている。
サラリーマンが日経新聞を読むのと同じ感覚で、だ。

なぜここまでまわりに気を使っているのか。自分でも分からない。
これを「バランス症候群」「沈黙恐怖症」とでも呼ぶのか。

もし過去に、私と携帯電話の話題で盛り上がったと思っているきみ。
あるいは巨人戦の話題で盛り上がったと思っているきみ。
きみね、これは私の涙ぐましい努力の上に成り立っていた会話だったのだよ。

(びんかん)
「お、風邪引きましたか?」
咳が出たヒトにこんな言葉をかけることが多い、これも美学。

「気温の差が日に日に違いますから気をつけて」

なんという気遣いの言葉だ。
がしかし、どう気を付けてもらいたいのか。
風邪を引かないように、だが、具体的にどんな心がけをしてもらいたいのか。
「適当な気遣いの言葉」のような気がしてならない。
気持ちが悪いから、あまり言わないようにしよう。

(てくにこ)
会社で使っているパソコンは、前任の女の子が使っていたやつのそのままおさがり。

その女の子はかなり爪を伸ばして使ってたらしいので、キーボードの文字が削れてしまっている。
とくに「S」「K」「N」「M」など日本語に多い音のキーボードの文字は完全に消えている。

いちおうぼくは「ブラインドタッチ」というやつができるので、ふだんメールやなんからの文書を作るときなどは、アタマの中で流れている文章をその勢いのまま入力すれば、この「S」や「K」などの「見えないキー」を意識せずに入力することができる。

しかし、IDやパスワードなど慎重に入力しなければならないとき、この「見えないキー」が「果たしてここはSだったっけか」と思い出せない。
とくに「N」と「M」の位置は、どっちがどっちだかまったく思い出せない。

勢いがあって忙しい状態だとできることが、落ち着いて慎重にやろうとすると全然できないことがある。

(びんかん)
ミスの連鎖、ってありがちだろう。

ある不具合を修復しようとやったことが、さらに状況を悪化させ、その対応に追われ続けているうち、気がついたら本来直さなければならなかった不具合はまったく直っていなかったというやつ。

よくある話だ。

で、多くの人はこういう状況になってしまうと、「そもそもこうなってしまったのはなぜか」「そもそも誰のせいなのか」と、「そもそも論」を展開する。

しかし、この「そもそも」の追求をどこかでやめないと最終的には大変な結論になってしまう。

「つまりは、こんな失敗をしてしまう我々人間が、そもそも生まれてこなければ良かったのだ。」

こんな結論は不毛だけど、
ほとんどの場合、だれかが「ごめんね」と謝れば済む問題が多いから、世の中「そもそも誰のせい?」の追求連鎖がなくならないのだろう。

それに、こういう悪者探しって、自分が正義の側になった気がして気分いいもんね。

(びんかん)
私は長野県の出身だ。
長野県が日本一であり最高の県だと思っている。

他の県は、ぜんぶクソだ。

もう上京してすでに10年ほどになろうとしている。
だが、未だにテレビで全国の天気予報を見ると、最初目が行くのは長野県の天気だ。
東京地方が曇りや雨であっても、信州地方が晴れマークであれば「よし、いいぞ」と思う。

新聞やネット記事などで、「長野」という文字が目に飛び込んできたら、まず先にこの記事から目を通す。たとえ、それが「長野県えのき茸出荷数、今年は横ばい」といった、普段まったく関心が持てないような記事であってもきちんと目を通し、長野の美しい山々から生えているえのき茸のことを想像する。

がっかりするのは、「長野」と目に入って「お!」と思って見に行くと、「河内長野市」という大阪にある市のことだったりしたときだ。そのときは「長野なんて名前使うなバカ、やっぱ田中康夫知事が言うように『信州県』にするべきだよな」と強烈に思ったりもする。

ところで最近、日本全国地図を買ったのだが、もちろん、最初に探したページは長野県だ。
いつでも好きなときに長野県の場所が確認できるように、長野県のページには折り目を入れてすぐに見れるようにもなっている。

とにかく、長野が大好きだ。愛していると言ってもいい。

これは「県ナショナリズム」というのだろうか。
「愛県心」とでもいうのか。

統計をとったわけではないが、長野出身の者は皆、この傾向にあるようだ。
他の県のやつらはそんなことはないのか。

(びんかん)
生活ぶりが、すでに夜型になってしまった。

午前2時ごろまで起きていることが普通、と考えるようになってしまった。
しばらく2年ほどトラック運転の仕事してたので、朝4時前に起きる朝方人間だったのだが、今はこうやって夜遅くまで起きてブログの更新をしたりメールを書いたりしている。

でも早く寝てしまいたいと思って気持ちが適当になっているので、書いていることも相当適当だ。

ところで、トイレの流すレバーは「大」と「小」があるだろう。

今でこそ、あれは「大便」の「大」と、「小便」の「小」だと理解しているが、小学生のころはぜんぜん違う解釈をしていた。

いま出たのが大きいのか、小さいのか。

水の量もそれに合わせて「大」と「小」を調整する。
今思うと、そのころのぼくはかなりのエコロジストだったに違いない。

(びんかん)
昨日の夜、日比谷野外大音楽堂でゆらゆら帝国とボアダムズのライブを見てきた。
雨降りの中でのカッパ着用、野外ライブ。

日比谷のオフィス街に轟く、ノイズの洪水。

ステージで好き勝手にやってるアーティストの姿にとうとうついて行けなくなって、ぽかーんと眺めてるしかないこの「置いてきぼり」感がロックの醍醐味だと思う。

それにしても、ゆら帝ボーカル坂本の赤のパンタロンに緑のピチTという姿が、かなり気持ち悪くてぐっときた。しかも髪型が巨大アフロだ。

こういう人はふだんどういう生活してるんだろう。
ステージ上やCDジャケ以外での姿が想像できない。

こういう人でも区の図書館に行ったりするんだろうか。
「昆虫図鑑」とか「海の生き物」とか借りたりするんだろうか。

(びんかん)
「ON/OFF」が分かりづらいもの、まだあるぞ。

最近の水道の蛇口はどうだ?
昔のようなひねるタイプじゃなくて、レバーを下げたり持ち上げたりするタイプのやつ。
オシャレなシステムキッチンとかに多いやつ。

このレバータイプの蛇口に出会うと、「さて、これは下げるのか、それとも持ち上げるのか」と悩む。

悩んでいたって始まらないから、レバーを持ち上げるか下げるか、どちらかをやってみる。
ぼくの場合は、持ち上げてみるほうが多いかな。
とにかく水は出ることは出る。

で、いろいろ顔を洗ったり、皿を洗ったりして、もう水を止めたいなと思ったとき。
そのときはすでに、水を止めるのはレバーを下げるのか上げるのか、もう覚えていないのだ。

とりあえず、レバーを持ち上げてみる。
やはり間違っていて、水が止まるどころか、ものすごい勢いで出る。

あわてて、レバーを下げて水を止める。

なんだくそっ。
蛇口の分際で。
この一連の動作をだれかに見られてたら恥ずかしいじゃんか。

しかしイメージとしては、レバーを持ち上げるのも下げるのも、どちらも「水が出る」イメージだと思うんだ。
レバーを持ち上げる → 水の通り道が広くなって、そこから水が出てきます、みたいなイメージ。
レバーを下げる → ボタンを押すと水が出ます、みたいなイメージ。

調べてみると、このレバータイプの蛇口、
レバーを持ち上げると水が出るタイプ、下げると水が出るタイプ、どちらも半々くらい世の中に存在しているらしい。

いいのか、そんなことで。
夏の節水の時期になったら、これは重要な問題になってくるぞ。

(びんかん)
出張先で、課長から借りたデジカメで撮影することになった。

分からない。
電源をどうやって入れるのかが、分からない。

カメラを眺めまわし、「ON/OFF」のボタンがないか探してみる。ない。
どれかのボタンを長押しすれば電源が入るのか。入らない。
あるいはどれかとどれかの、二つのボタンを両方同時に押すのか。なにもおこらない。

途方にくれた。
撮られる女性は、表情も作ってずっと待機している。
しかしぼくがなかなか撮影に入らないので、だんだんイライラしてきているようだ。

恥を忍んで会社へ電話し、課長につないでもらう。
課長「ずらすんだよ」

ヅラす?

あ、このスライドみたいなふたを横にずらすのか?
カシャン。ピピピッ。
電源入った!

しかし、これでは誰も分からないぞ。
これを設計したエンジニアは、ユニバーサルデザインという概念を理解しているのだろうか。
負け惜しみじゃないけど、これは間違った設計だと思う。

ほかにも解せない電源ON/OFFのモノがある。

パソコンのウインドウズを終了するとき、
左下にある「スタート」というボタンを押して、終了処理をするだろう。

「終了」なのに「スタート」なんだぜ?
おかしくねーか?
どうなんだよ、そこんとこビルゲイツよお。

(びんかん)
バカのふりをしなければならないときがある。

どういうわけか、バカのふりをしなければ、しっくりこない状況や場面というのがあるのだ。
大人のTPOだ。
時と場合、状況に合わせて、バカ度数の目盛りを調整する。
今日はこんなバカ、明日はあんなバカ、という具合だ。

いろいろ親切丁寧に教えてくれる人に対しては、けっこうバカのふりをすることが多い。
この場合、最初バカのふりをしてて、だんだん利口になっていくというパターンが望ましい。
なぜなら相手に「あいつは教え甲斐がある」と思わせるためだ。
一種のサービス精神だ。

また、なぜか相手を見下すような人に対しても、バカのふりをしてその場を乗り切ることが多い。
こういう人に「キレ者」のような雰囲気で近づいたりすると、余計関係がぎくしゃくする。

「バカのふりをして、相手のバカっぷりを眺めて悦に入っているのか」
「なんという皮肉屋の、倒錯した感覚だ!」

と、怒りの声も聞こえてきそうだが、実際はバカのふりをして楽しい思いをすることはない。

はやくこの、居心地の悪い、「バカのふり」をしなければならない変な状況から脱したい。
それだけを願いながら、ホカホカのバカのふりをする。

(びんかん)
人と話す時、基本的には目を見るけれど、どうしても他のものが気になる時もある。
例えば、印象に残る眼鏡をしていたり、眉毛が野太かったり、
目が極端に寄っていたり、鼻毛が出ていたり。

今日、我が社に来た、便利屋のおやじ、通称「AVオジサン」
この人、なんとヅラなんだ。

小さい頃からお母さんに「人と話す時は目を見なさい!」ってきつく叱られていたけれど、
AVオジサンと話す時は、どうも少々上に行ってしまう。
綺麗なシチサン分け、だが、モミアゲとの雰囲気が違う。

この人、我が社社長との付き合いが長く、ゴルフ仲間でもあるようだ。

なぜ、ヅラをかぶったのか。

社長によると、「パターが入らなかったから」だそうだ。
パターを構えると、「フォソォッ!」っと、落ちてくるらしい、バーコードが。
そうすると集中できずにパターが入らない。

しかし、ある日突然「私今日から生まれ変わりました」と言って、ヅラをかぶってきたようだ。

その人はとてもいい人で、なんでも仕事をこなしてくれるのだが、
申し訳ないことに、目線があがります。

ごめんね。

(てくにこ)

2006-06-06 23:24:16
今日の午前は会議。

近日公開されるWebサイトの打ち合わせ。
毎日ブログ的に動画を配信する、という驚異的で自殺的なサイト。
しかも、団塊の世代向け。

ぼくがこのサイトのWebマスターとして、毎日面白いコンテンツを考えていかねばならない。
「字」ではなく「絵」で。
しかも「動く絵」で。

会社の予算で、高性能新型パソコン、大容量のサーバ、動画編集ソフトを買ってもらう。
その他、ビデオカメラや照明用ライトもこれから購入する。

どんどん環境は整った。しかも全て「最高水準」の機材ときている。

プレッシャーだ。
果たして、毎日面白いネタを考えていくことができるか。
ネタが枯渇することはないか。

リラックスが必要だ。

(びんかん)
久しぶりに大船駅に降りて驚いた。
こぎれいな、ちょっとしたオシャレな都会風の駅になっていた。

以前ぼくは大船駅のすぐ近くに住んでいた。大船駅をよく利用していた。

その当時の大船駅は、なんとも薄暗く汚くて、駅のトイレはいつも水浸しで、便器にはいろんなゴミが詰まっていて、洗面台にも雑誌とか飲みかけのビールの空き缶とかがつっこんであったりした。

駅全体の雰囲気からして、なんというか昭和時代の国鉄っぽい感じだった。

おじさんの臭い、タバコの臭い、黒っぽいくすんだ色の屋根からぶら下がっている寒色系の蛍光灯、天気のよい昼間なのにいつでも夜のような雰囲気のホーム。

でも今は普通のきれいな駅になって、おじさんの酸っぱいような臭いもしない。

そんな嫌らしい臭いどころか、改札真ん前に新しくできた喫茶店からコーヒーの香りとパンを焼いた香ばしい香りが満ちている。しかも小さな音でジャズがかかっていてオシャレ度数がさらにアップしている。

どうしたんだ大船駅。

オシャレな大船駅もいいけど、ぼくは以前の猥雑で、そしてなぜかちょっと寂しい気持ちになってしまう、そんな大船駅も好きだったよ。

(びんかん)
古くからの友人N川の絵画展を、南足柄まで観に行く。

彼は、そううつ病を患ってしまいずっと苦しい生活を送ってきたが、
今日展示されていた数々の明るくポップな絵画は、白を基調としたスマートな形状と色彩で構成されており、ていねいな筆遣いだけど踊るようなリズムで描かれた抽象絵画は、これは「新しいN川」の始動を見たような気がした。

N川は、いつのまにか自分だけの新しいオリジナルフォームとスタイルを生み出していたのだ。

N川の表情も、余裕というか、なんというか思考と観念の果ての果てへ行きついて、悟りの境地に達してしまったような、そんな宗教的な顔をしているようにも見えた。

去年の年末から今年の年始にかけて、ぼくはなんどかN川へのお見舞いも兼ねて彼の家へよく遊びに行ったが、その都度彼が描いている絵を見せてもらっていた。
それは、今日展示されていたようなポップでスマートなスタイルの絵ではなくて、もっとカオティック(混沌)な、激しい感情をそのままカンバスにぶつけたような、そんな絵画だった。
しかも「一日100枚描く」とかいう変な目標で生産を続けていて、彼は「アートはスポーツ」とまで言いのけていた。

いろいろ試行錯誤し、あらゆるスタイルを試みたり、足したり引いたりの作業を繰返しながら、現在のスマートでポップなスタイルへ行きついたのかもしれない。
しかも、半年もない短い制作期間で!

ぼくはN川という天才が身近にいることをとても誇りに思う。
そしてそんな彼が、こんな凡庸でつまらないぼくへ気軽に電話してきてくれたり遊びにきたりしてくれて、本当にうれしいと思う。

(びんかん)
いまテレビをつけたら安田美紗子が出てて、かわいいと思ったのと同時にアイフルも思い出した。

消費者金融、つまりサラ金のアイフルね。
アイフルだけじゃなくて、アコムとかお自動さんとかDCキャッシュワンとか、いろいろあるね。

で、前からずっと思っていたけど、
こういうサラ金から、今すぐ借りなければならないケースってどんな場合なんだろう?

今すぐキャッシュ(=現金)が必要!
ってケース、そう多くはないんじゃないか?

「今は手元にお金はないんですが、すぐに現金用意致しますので、そこをなんとかよろしくお願いいたします。」というケースは、どう考えてもほとんどないだろう?

CMとかだと、
「今日は彼女の誕生日。なにかプレゼントしなきゃ!でも給料日まであと半月もあるよー。そこで・・・」
とアイフルとか武富士に走りキャッシュの都合をつける若者。

あり得ねえ。こんなケース。

しかし、俺が以前勤めていた職場には、競馬・パチスロその他ギャンブルは男の花道とか言って、そういう世界にどっぷり浸かっている人が多かった。

たまの休みになると朝からパチスロを始めて、閉店になるまで一日中そこで過ごす。

そういう人が閉店間際になると思うことは、みんな同じらしく、

「あー、今ここで100万のキャッシュがあれば、どかんと倍にして、今までの負けも全部チャラになるどころか、ヒルズ族になれるくらい勝ち越すんだけどなあー!」

で、「今すぐキャッシュワン」という気分になるのだそうだ。

つまりは、ギャンブルするための運用資金を調達するために、サラ金から借りるわけだ。

「あとで倍々にして、すぐ返すからよぉー、ここはなんとか俺に100万預けねえか?」ということだ。

もうなんとしてでも、ギャンブル欲を今すぐ満たしたい、だから今すぐキャッシュワン!なのだ。

へー、そうですか。って話。

(びんかん)

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