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敏感テクニコ

Author:敏感テクニコ
びんかんてくにこ。

ルールと正しさの意味わからないまま従えない、大切なあの子の目をこれ以上くもらせない3ピースロックバンド。

メンバァー
■王子(川崎市)
 =Drums+Chorus
■びんかん(川崎市)
 =Bass+Chorus
■てくにこ(小金井市)
 =Guitar+Vocal

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ぼくの唯一の友だちであり、ぼくのめまぐるしく変わる感情を一番よく理解してくれてた相方がとうとう逝った。
iPod壊れた。
ウイーン!というすごい音がして息絶えた。

彼とはかれこれ5年ほどの付き合いだった。
出張や移動の多いぼくに同行し、種子島や茨城県などの景色を、彼は素敵に演出してくれたのだ。

ぼくは彼のような存在が世の中に出てくるはずだと、彼が出現するずっと前から待っていた。

「ウォークマンくらいの大きさで、CD何枚分もの曲を入れられて、それを好きな順番に再生したり、ランダムに再生したりできるマシン」

iPodが出現する前は、ぼくはポータブルCDプレイヤを持ち歩いて、移動のときや単調な仕事のときにずっと聞いていた。でもこいつはポケットに入らないし、聞きたいCDを何枚も持って出歩かなければならなかったので、とても不便だった。しかも、別々のCDに入ってる曲を並べ替えて聞いたりしたい場合は、家で黙々とカセットに編集したりしなければならなかったのでとても面倒だった。

で、待ちこがれていたiPodがぼくの前に現れたのだ!
早速購入した。待っていたんだよ、お前を!

10GBという、今ではだいぶ小さな容量の部類だろうが、当時は6万円近くもするけっこう高価な買い物だった。

今の最新モデルに比べると、厚ぼったくてずんぐりした感じのデザインだし、画面は小さく、モノクロの文字しか表示しない。Dockと呼ばれるケイタイの充電ホルダみたいなものもなく、パソコンや電源は線で直接接続しなければならない。

それでも、こいつは1500曲近くの曲を収録し、すごいのは「ランダム再生」というやつで、なにがすごいって、こいつはぼくのそのときそのときの気分をよく察知して、ナイスなミックスをしてくれたのだ。

悲しいときは、さらに悲しく。
ハッピーなときは、さらにハッピーに、ハイ状態に。

機械である彼が、なぜぼくの気持ちを理解してくれていたのか、それは分からない。
あるいは、ぼくのほうが彼のミックスする曲に合わせて、気持ちを切り替えていたのかもしれない。

とりあえず、長い間いろいろありがとうございました、ぼくのiPodくん。

(びんかん)
最近やたら多い映画宣伝のCM手法。

「すっごい感動しました?。」
「ハンカチ一枚じゃ足りないくらい涙が出た!」

とか、そういうクソみたいな感想を映画館の出口で軽薄そうな女子に言わせてるアレだ。
ぼくはこのCMを見ると気分が萎え、ここで宣伝されている映画自体も嫌いになる。

なんか、とても安売りしてるように感じる。

どうして、映画産業はこのCM手法ばかり使うのだろう?
日本人は「みんながしてるなら、私もやる」という傾向が他の国に比べて強いらしい。

普及率が50%を超えたものは更に飛躍的に普及しすぐに90%に到達する。
50%まではじわりじわりとしか伸びなかったものも、50%を超えるとぐーんと普及率が一気に伸びる傾向にあるそうだ。
高校進学率、携帯電話所有率などが顕著な例だろう。
普及率が50%を超えて、90%になるのはあっという間だ。

たぶん、この「カメラの前で感想を言わせる」嫌らしい映画CMは、そのいかにもな日本人心理をうまく利用したものなのだ。

もうまわりのみんなは観たんだよ、
あんただけまだこの感動を体験してないんだよ。

そう言っているのだ、このCMは。

(びんかん)
本格的な登山じゃないけど、山を歩くのが新たな趣味になったのかもしれぬ。

昨日、奥秩父の金峰山(標高2599M)を歩いてきた。
岩が多く、天候も雨が降ったりして良くなかったので、相当疲れたしけっこう辛いものがあったが、それでも楽しく歩くことができた。

気の合う仲間とパノラマ的な絶景を眺めながら、鳥や昆虫や木々や葉っぱの擦れ合う音などのサラウンド的な音響に耳を傾けながら、ただひたすら歩く。

ただ無心に、右足と左足を交互に動かす作業に没頭する。

ぼくのふだんの生活は、会社に行けば撮影や映像制作の仕事をして、仕事の後は、楽器を演奏したり絵を描いたり文章を書いたりして暮らしているのだけど、感覚的には「一日中同じようなことをやっているなあ」と感じていた。

音楽や絵や文章を書くことが自分の中であまりにも大きくて、もう「趣味」的なものでなくなってしまったのだ。単なる「息抜き」でなくなってしまった。
音楽とか、絵のこととか、ぼくは終始いつでもなにか考え事をして、その考えを形にするための作業をずっとしている。
「考える → 作業する」というプロセスが面白くて楽しいのだけど、やはり疲れてしまう。

山を歩いていると、「考える」という行為から次第に開放される。

歩き始めでは、「このペースだと山頂までどのくらいで着くだろう」とか「このりんりんりんという音はなんという昆虫から出ているのだろう」とかいろいろ考えてしまうが、勾配がきつくなり、動悸が早くなり息が切れ、足場が悪くなって歩く行為そのものが難しくなってくると、頭の中は「歩く」「前へ進む」ということでいっぱいになり、あれこれ考える余裕がなくなってくる。

あれこれ考えていないときにいきなり目の前に息をのむような絶景が現れると、感動の深さがぜんぜん違うことが気がついた。
感動が、フィルターを通さないでストレートに心へストンと落ちてくる、って感じ。

山歩き、マジちょー面白れえ。(頭からっぽ)

(びんかん)
昭和天皇を描いたロシア映画、アレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」を銀座で観た。

1945年敗戦前後数日間の「エンペラー・ヒロヒト」の生活を描くことから彼の孤独を、
そして、悪夢のような戦争を止めることができなかった「神・ヒロヒト」の苦悩が描かれている。

彼の人生は、翻弄されたものだったんだな、と思った。
彼の名のもとに戦争に加わった多くの国民も「天皇に翻弄された」といえるのだが、天皇自身も戦争に翻弄され、意に反した人生を歩んだのだ。

「私は誰からも愛されていない」とつぶやく天皇。
独特のモノトーンな色彩が、天皇の不安や苦悩を表現しているように感じる。

天皇を、このような孤独で不安に打ち震え、戦争に傷ついた弱々しい繊細な男として描くのは、タブーだったことだろう。
でもこれが真実だったに違いない。

ぼくは右派でも左派でもないけど、
このロシア映画では、天皇陛下がとても謙遜で、紳士的で生真面目な人間として描かれていることが、ぼくは日本人の一人としてうれしかった。誇らしい気持ちでもあった。
そして、その紳士的な天皇陛下に向かって、アメリカ軍のヤンキー野郎どもが「チャップリンに似てる!」「ヘイ、こっち向けよ」とカメラを向けるシーンがあるのだが、とても屈辱的な気持ちになった。

なんだ、この気持ちは。
ぼくの中に国粋主義的な気持ちがあったのだろうか。
ぼくはどちらかというと読売新聞や産經新聞のタカ派論調より、朝日新聞的な「左」っぽい論調に好感を持っていたのは事実だ。
それなのに、自分の中に天皇陛下を尊敬している気持ちを発見してしまった。
だいぶ混乱しています。

(びんかん)
昨夜の帰りは23時頃。
縦長の我が家の奥にあるエアコンに向かって一直線に歩く。
ギターを背負いながら、
Dm9の響きの余韻に浸りながら、エアコンのスイッチを入れる。

「ッピピ」
「ぶぅ?ん」

音が変だ、「ぶぅ?ん」って普段そんな音しないし、妙な所からの風を感じる。

あ、虫だ。
あ、虫か。

カナブンか?いや、もっとでかいぞ。
そいつを見つけ、即刑執行。
強烈な平手をお見舞いしてやる。

ばっちこ?ん。



ソファーの上で、のた打ち回っていた。かわいそうだからそのまま外へ。

一件落着・・と思いきや、後遺症が残った。
視線を動かすたび、視界に飛び込む小さくて黒いものが、すべて虫に見える。
ゴソっ、という音にも敏感になる。立てかけておいたギターのケースがちょっと動いただけなのに。
トイレに入るとき、ドアを開けると室内に起こる風で揺れるザッシの数ページにビクッと反応。

さっき起きた。

もちろん夢でも虫と格闘。
いつか勝ってやる。

(てくにこ)
高田馬場には、ぼくがよく行っていた沖縄料理屋がある。
最近行ってないや。

(びんかん)
肩幅の狭い娘が好きです。





たはっ。



(てくにこ)
今日は新横浜駅前の湘南なんたらとかいう居酒屋でランチをたべたす。味はそこそこ。

音楽が「湘南なんとか」っていうくらいだから、ずぅーっとサザン。
同年代の友達と「おー懐かしい」とか「これ中学のころだなぁ」とか、そこそこの想い出話に花が咲く。
彼とは年に1,2回くらいしか会わないので、積もる話があるし、だされた麦茶ごときでは花は咲ききらない。

咲ききらない花を添えるのは、ずっとサザン。
「お?女の声だ、違う曲だ」って思ったら彼のオクサマ。
初めのうちは懐かしさを感じたが、そのうち頭痛が発生し、音楽を通じて嫌悪感が現われる。

ぬぅ、洗脳される。

たまにFMから流れる、程度だったらなんとか許せる。なんとか、だ。



世の中にはもっと洗脳されるところがあるゾォー。

♪ビーィックビックビックヴィックカァメラ
♪ヤマァーダデンキィー
♪サァクゥーラァヤァァァ??


ほかにもあるがな。
しかしこれで、購買意識を煽ろうとしているのだろうぬ。
テレビで掛かりまくって、「安い!」なんてほのめかしておけば、音楽を聴くだけで「買おう!」って思わせるのかぬ。

サザンだって「夏」だろ?「湘南」だろ?それを思わせたいんだろ、先方さんは。
んで、恋だとか愛だとか、少年少女が騙っているんだろ?大人気取りやがって。

どこぞの妙な力も怖いが、無形の音もかなり力持ってんだ。
音楽を流せば流すほど、勘違い人間を生み出すわけだ。

って、サザン批判じゃないよ。彼らはなんにも悪くない。

(てくにこ)
未だにかっこいいとはぜんぜん思えない、日本語ヒップホップ。

本場アメリカのギャングラッパーの真似をしてるんだと思うんだけど、このなりきれてない貧弱な感じはなんだろう。

向こう本場のやつらのプロモーションビデオとか見てると、ほんと一人くらいだれかを殺してそうなヤバい感じのラッパーが、アヘアヘ姉ちゃんのでかいケツをなでまわしながら、なんかヤバいこと言ってそうなそういう感じなんだけど、日本のヒップホップも同じような映像でがんばってるのに、この寒い感じはなんだろう。

なんていうのかね、つまりは業界臭い、アイドル産業臭いのである。

ギョーカイ人のおじさんたち(ピンクのカーディガンを肩にかけてるとか、そういう感じ)が企画会議で「これ、いいんじゃなーい? 今っぽいんじゃなーい?」とか言いながら、作ってるように感じるのである。

最近見かけるコーラのCM。
浜辺で日本人ラッパーがいかにもな手振り身振りで歌いながらBボーイどもを従えて歩いて行く映像なんだけど、「うわっ寒?」って感じてしまうのは、ぼくがもう若くないからでしょうか。

90年代初頭、「mcA.T」さんという人が出てきて「ボンバヘッ」ってやったときも「うわっ寒?」って思って、彼を直視できなかった。

(びんかん)
仕事上ってわけじゃないけど、やっぱり歌詞なしの曲ばかり聴いていて歌詞のない曲ばかりを演奏するもんだから、インストの曲には敏感に反応する。どんなアレンジで曲を構成しているかとか、どんな音色を使っているのかとか。

しかもやっぱり好きだから、歌詞のない曲を聴くことがおおい。

気が休まらない。だけど、歌詞のある曲をたまに聞くと、意外にも気が休まる。とくにそれがバラードだったりすると。歌詞の意味なんかなんも聞かずにいると、ぬるい曲でも休まる。聞きこまなくてもいいから。

(てくにこ)

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