少年世間が皇室のご出産とかで騒いだり浮かれたりしている中、俺は絶望について考える。
山口県で起きた、19歳の女子高専生が殺された事件。
そして彼女を絞殺した同級生の少年は、殺しに手を染めたそのすぐあと隣町までバイクで走り、山に入りそこで首つり自殺という最期を遂げた。
自分も10年前は高専生であったという親近感、そしてこの事件が何度も出張で訪れたことがある「徳山」そして「下松(くだまつ)」という地域で起きたという点で、とても関心があった。
また、ぼくの好きな作家、重松清が小説で舞台にする地域もこの瀬戸内のあたりが多く、彼の作品の多くが「十代特有の機微」や「少年犯罪」をテーマにしているという点も、この事件への関心をよりいっそう高いものにした。
この殺人事件の詳細は、なにもわからない。
単なる恋愛関係のもつれなのか、あるいはもっと違う理由があったのか、それは当事者の二人が死んでしまっているので誰も分からない。
十代の少年と少女を追いつめたものは、ただ単なるこじれた恋愛だったのか。それとも少年の妄想の産物だったのか。
なにも分からない。ぼくはただ想像するしかない。想像することが許されているのであれば。
重松清の代表作「
疾走(上・下)」では、やむを得ず瀬戸内の田舎から東京へ上京することになった15歳の少年シュウジが犯してしまう殺人と、彼をそこまで追いやった絶望、怒り、憎しみ、孤独が怒濤の疾走感で描かれている。
中学生のシュウジを追いつめたものが大人たちの汚らしい欲望や、世間体という幻想、そんなナイフのようなシュウジの心を支配した感覚は「絶望」だった。
絶望とは、希望の反対だ。
この重松清「疾走」は、99年に起きた「池袋通り魔殺人事件」をモチーフとしている。この通り魔殺人の犯人、造田博はぼくと同い年、現在30歳。死刑囚だ。
99年、ぼくは22歳だった。
彼の事件については、またこんど書きたい。
すまぬ、こんな暗いテーマになってしまった。でも書かずにおれぬ。
(びんかん)