暇さえあれば地図を眺めている。
ところで、浮かれたやつらがディズニーランドに向かうとき利用する電車、京葉線の路線を東京駅から順番に眺めていた。すると不思議な地帯を発見してしまった。
二俣新町駅のあたりだ。

この三角形の線路の配置は「デルタ線」といって、列車の進行方向を変えずに各方面に直通運転をさせるためのものだそうだ。上の地図は、京葉線と武蔵野線がデルタ交差している地点というわけだ。
しかしそれにしても、この二俣新町駅の荒涼とした感じはなんだろう。線路と高速道路と、巨大倉庫しかない。常に高速道路からゴーゴーとひっきりなしに自動車が通る音が通常低音として聞こえ、駅前のロータリーにはエンジンかけっぱなしの赤錆びた鉛色の巨大トレーラーが、何台も列を作って並んでいる。
この二俣新町には防衛省の団地があって、前から目をつけていた。こんな心がささくれ立ってしまう街には絶対給水塔がある。地図を眺めながらそう確信していたのだ。

予想通り、給水塔があった。
駅と団地の間の長い地下道を歩いている間からずっと、ぼくはさっき電車の中で読んだ本のことを思い出していた。
おそろしい夢をラスコーリニコフは見た。彼が夢に見たのは、まだ田舎の小さな町にいた子供の頃のことだった。彼は七つくらいの少年で、お祭りの日の夕暮れ近く、父といっしょに郊外を散歩していた。

ところがいまは、おかしなことに、その大きな荷馬車につながれているのが、小さなやせた百姓馬なのだ。それは、彼はよく見かけたものだが、よく薪や乾草を山のように積んで、あえぎあえぎひいて行き、特に車輪がぬかるみかわだちにはまりこんだりすると、いつも百姓どもにこっぴどく鞭でなぐられ、どうかすると鼻面や目までなぐりつけられて、必死にあがいているような、あんな馬だった。彼はそんなところを見るとかわいそうで、かわいそうでたまらなくて、いまにも泣き出しそうになり、いつも母に窓からひきはなされたものだった。

《乗れ、みんな乗れや!》と、首がふとく、肉づきのいいにんじんみたいに真っ赤な顔をした、まだ若い男がどなった。《みんな連れてってやるぞ、さあ乗った乗った!》するとたちまちげらげら笑う声やどなり返す声がどっとあがった。
「そんなやせ馬がひけるってか!」
「おいミコールカ、気はたしかか。よくもそんなやくざ馬をこんなでっけえ馬車につけたもんだ!」
「まったくだ、この駄馬はもうてっきり二十(はたち)からになってるぜ、なあ皆の衆!」
「このめす馬ときたひにゃ、じれったいったらねえや。ぶっ殺してやりてえくれえだよ、無駄飯ばかり食らいやがって。さあ、乗れってば! すっとばすぜ! そら行くぞ!」そういうと彼は鞭を両手ににぎしめて、意地わるい喜びにぞくぞくしながら、やせ馬をなぐりつけようと身かまえた。

《そら!》というかけ声がかかった。やせ馬は力いっぱいひっぱったが、走るどころか、歩くことさえほとんどできず、その場で足をふみかえるばかりで、ぜえぜえ息をきらし、豆をはじくようにふりそそぐ三本の鞭の下で膝がつきそうにもがいた。馬車の上とまわりの人だかりの笑い声がひときわはげしくなった。ミコールカは腹を立てて、なぐれば走り出すと本気で考えているのか、気ちがいのように、めす馬をますますはげしくなぐりつけた。「乗れ! みんな乗れ!」ミコールカがどなりかえした。「みんな連れてってやるぜ。ぶちのめしてやるぞ!」そしてなぐって、なぐって、なぐりまくった。彼はもう頭がカーッとなってしまって、何でなぐったらいいのかわからなかった。
「お父さん、お父さん」と彼は父に叫んだ。「お父さん、あの人たちは何をしているの! お父さん、かわいそうな馬をあんなにたたいて!」
「行こう、行こう!」と父は言った。「酔っぱらって、わるふざけしてるんだよ、ばかなやつらだ。行こう、見るんじゃないよ!」

「あ、畜生、くたばりゃがれ!」ミコールカはかんかんになってどなった。彼は鞭をすてると、腰をかがめて、馬車の底から太く長い轅(ながえ)をひっぱり出し、もろ手でその端をつかみ、いきなりやせ馬の上にふりかぶった。
「骨がくだけてしまうぞ!」とまわりの人々が口々に叫んだ。
「殺す気か!」
「俺の勝手だ!」そう叫びざま、ミコールカは力まかせに轅を振り下ろした。にぶい音がひびいた。
「なぐれ、なぐれ! どうしたんだ!」と人だかりの中から何人かの声がけしかけた。
ミコールカはもう一度振りかざし、力まかせの打撃がもう一度あわれなやせ馬の背におちた。馬はへたへたッと後足を折ったが、すぐにまたおどりあがって、ひっぱった。なんとか車をうごかそうと、最後の力をふりしぼって、右へ左へはげしくもがいた。しかし四方八方から六本の鞭が馬をとらえ、轅は風をきって、三度目、さらに四度目、正確な間をおいて馬の背に落下した。ミコールカは一撃で倒せなかったので、すっかりいきり立っていた。
「まだ生きてるぞ!」とまわりが叫んだ。

「ええ、うるさい! どけろ!」とミコールカは気ちがいのようにわめくと、轅をすてて、またかがみこみ、今度は馬車の底から鉄棒をひきずり出した。「危ねえぞ!」と叫んで、彼は鉄棒を振り上げ、渾身の力をこめてあわれな馬の背へ振り下ろした。ガッとにぶい音がして、馬はよろめき、へたへたとくずれたが、またはね上がろうとした。鉄棒がまた風をきって馬の背へおちた、すると馬はまるで四本の足を一度になぎはらわれたように、どさッと倒れた。
「息の根をとめろ!」と叫んで、ミコールカは夢中で馬車からとび下りた。ミコールカは馬の横に立ちはだかって、もう放っておいても死ぬのに、めったうちに鉄棒で馬の背をなぐりだした。馬は鼻面をのばして、苦しそうに最後の息をひきとった。

あわれなラスコーリニコフ少年は、もう何も考えられなかった。彼はわっと泣きながら人ごみの間をぬけると、やせ馬のそばへかけより、もう死んでしまった血だらけの鼻面をだきしめて、顔に、目に、唇に接吻した…そして、不意にとびおきると、小さな拳を振りあげてミコールカにとびついた。そのとき、もうさっきから彼のあとを追ってきた父が、やっと彼をつかまえて、人ごみから連れ出した。
「行くんだよ! ね、行くんだよ!」と父は彼に言った。「お家にかえろうね!」
「お父さん! どうしてあの人たちは…かわいそうな馬を…殺したの!」と彼はしゃくりあげながら言ったが、息がきれて、言葉は叫びとなって彼のしめつけられた胸からはじけ出た。
「酔っぱらいどもが、わるふざけしたんだよ、《ぼく》にはなんのかかりあいもないんだよ、さあ行こうね!」と父は言った。彼は父にしがみついたが、胸はますます苦しくしめつけられた。彼は息苦しくなって、叫ぼうとすると、目がさめた。
(「罪と罰」ドフトエフスキー 工藤精一郎訳 新潮文庫)

安倍首相が退陣か。
彼の力のない目、こけた頬。彼も長い長い夢のトンネルを抜けてきたんだろう。
彼も、自分の給水塔を探せばいい。
徘徊シリーズ(4/5)に続く。
(びんかん)