10年前
この秋の3連休は信州へ帰省していた。
紅葉を見るために帰ったのではない。まあ、もちろん信州の紅葉は奇麗であるのが当たり前なのであるが。

あれこれと実家の用事をしろと招集命令が発令されたのだ。
・庭に生えている梅の木の枝が伸び過ぎているから、それを切ろ。
・同じく柿の木の枝も伸び過ぎているから、はしごを使って木に登り枝を切れ。
・切った枝をさらに50センチほどに切ってまとめ、束にしてヒモで縛れ。
・屋根や欄干に落ちた柿の葉を下に落とし、それを集めろ。
・家庭菜園用の畑の土を掘り起こし、深さ30センチくらいの穴を掘れ。
・屋根から集めた落ち葉を、その畑の穴に埋めて腐葉土にしろ。
・お父さんとお母さんの自転車をぞうきんで拭いて、タイヤに空気も入れておけ。
・ビールを買ってこい。
・作業がぜんぶ終わったらこたつにあたってご飯を食べてよい。
「働かざる者、食うべからず」という原理原則が厳正に適用されているのである。
ぼくが実家に帰省するというのはこういうことだ。だらだらしてんじゃねえんだ。
3年ほど前に親父が脳溢血で倒れてから、こういう庭仕事をぼくが変わりにするために秋の時期は帰省することになった。(親父は病後めきめきとリハビリに励んだので、今では普通の人となんら変わらず歩いたり好きな酒を飲んだりできるのであるが、血圧が上がりやすい寒さを恐れるようになった)
今回の帰省はこの庭仕事だけではなく、もう一つ大事な作業があったのだった。
それは、押し入れから大量に出てきた本や雑誌の類を処分するようにというものであった。
ぼくの家系はどういうわけか「整理整頓」に猛烈に熱を上げやすいらしく、とにかく不要なものは徹底的に捨て、家に置いておくものも最小限度にとどめ、しかもそれが理路整然とあるべき位置に収納され、「すべての角が揃ってピシっとなっていなければならない!」「部屋の汚い奴は死ね!」とまで言いきるほどの強い信念と思想がある。
部屋が汚い人の記事:
http://bingkangtechnico.blog102.fc2.com/blog-entry-160.html
両親はいつものように家中の整理整頓に夢中になっていたのだろう、押し入れの奥からぼくが二十歳前後のころよく買っていた何十冊という音楽雑誌を発見してしまったのだ。
「明日はちょうど長野市の廃品回収の日だからぜんぶまとめて出してしまいなさい」
この雑誌には思い入れがあった。だからぼくは処分することを相当ためらったが、両親の強靭な思想の前では屈服するしかなかった。
この積み上げられた雑誌からは10年前の酸っぱさが漂っていた。
10年前、それは97年当時、ぼくは学校を卒業し、縁もゆかりもないとある地方の時計工場で夜勤として働いていた。世の中は不況のど真ん中であった。なんとか見つけた仕事だった。ぼくは深夜1時に工場に出勤し朝9時にアパートに帰宅するという生活を続けていた。
退屈な仕事、そしてつまらない日常。現実逃避なのか、二十歳の小僧は音楽に夢中になっていた。
部屋中に機材を積み上げ、大音量で音楽制作したいという妄想。いつかは音楽で飯を食いたい、という妄想。
10年前の広告が興味深い。
こういう変な時計している人もいたね。テクノ系の人がしていた。
ていうか、実はこれはぼくの工場で作っていた時計だ。もちろんぼくも「社員特割」でこの時計を買った。「ケンイシイモデル」という、テクノDJがデザインした文字盤とバンドが一体化になっている赤いやつだった。それを身につけた俺は「カッコイイ、イケてる、ヤバい」と思ってたよ。
ダサイかい?そうかい。ふふふ。

90年代の終りは、まだテクノミュージックの元気がよかった。無機質な電子音や終りなく強迫観念的に響く4つ打ちキックが、不況のどん底にいるという社会不安を快楽主義的で刹那的軽薄さでかき消そうとする世紀末の雰囲気にとてもマッチしたのだろう。オウム事件や酒鬼薔薇事件の後の、あの時代の雰囲気でもある。
いろいろ感慨に耽ったが、ぼくは次の日早起きをしてこれらの雑誌を廃品回収に出した。
早朝の秋の長野市は霧が立ちこめているんだね。雪が降るのもそろそろだ。

苦悩と漂流の20代は、これで精算した気になったかって?
いやいや。このモラトリアムな気分は死ぬまで続くだろうさ。
それがぼくの源流だからね。
(びんかん)
2007.11.26 | Comments(2) | 未分類






